食事を神聖化していないか?

書評
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最近本読んで思うことがあったので食事について綴ってみたいといます。

それは食事を神聖化してはいないか?ということ。まずは読んだ本についてご紹介します。

五感で質素な食事を楽しむ

読んだのは「なにおれ」さんの「ミニマリスト式超自炊術:質素な食事で愉快にくらす」という電子書籍。

Kindle Unlimited会員なら無料で読めます。また1ヶ月無料で読むこともできます。

私はこの本の全体の趣旨はこんな感じだと捉えました。

  • 食事はただ栄養補給するためではなく、人生の幸福度を上げてくれるものである。

著者は質素な食事こそが上記のような理念に合致する食事だと考えています。

質素な食事というと否定的に感じる方は多いと思います。しかし著者はそうは考えません。

昔は贅沢な食事であったオムライスやハンバーグなどの料理は、豊かさの水準があがったことで、当たり前として認識されるようになっています。

ミニマリスト式超自炊術:質素な食事で愉快にくらす

質素な食事というのは生活水準が上がって相対的に価値が下がった結果でしかないのです。

それよりも重要なのは五感で食事を楽しむこと。例えば著者は以下のようなことを勧めています。

  • 食事をするときは食事に集中する
  • 数は少なくても食器にはこだわる

五感をフル活用すれば人生の幸福としての食事を楽しめると著者は述べているのだと理解しました。

料理を神聖化することで起こる弊害

質素な食事をすべきという趣旨には同感です。ただ私が思うに著者に限らず世間的に食事というものを過度に神聖化していないでしょうか。

著者の言う「質素な食事」には食事を神聖化している節があるように思えるのです。

食事の本来の目的は栄養補給のため。

しかし高度に文明が発達した人間にとっては食事とはただ単に栄養を補給するためだけではなく、仲間との交流や味わうことへの快感を得るための手段ともなっています。

その結果何が起こったか。

ただ単に食事を取ることでは満足できず、より多くの刺激を得られる調味料をふんだんに使ったり、自分たちの地域にはないような料理を輸入したり、食べきれないほどの料理を作り上げたり・・・。

欲望が欲望を呼び際限なく料理への神聖化は加速していきます。

それに呼応するかのように健康への悪影響、食文化の破壊、食品の大量廃棄・・・様々な弊害が現れてしまっています。

料理を神聖化したがゆえに起きた問題です。

しかしいくら時間をかけて手間をかけて調理したところでどんな立派な料理でも胃に入ればドロドロの液体になり、体から出るときには残りカスなのです。

もちろん美味しいに越したことはない。自分だって不味い料理は食べたくはありません。

しかし美味しい料理を作ろうと思えばそれ相応の時間や手間、費用がかかる。それによって得られる幸福とその代償ははたして釣り合うのだろうか?

どんなに忙しくても食事はしっかりとるべき、栄養バランスの良い食事を取るべき、1日30品の食事を取るべき、みんなで一緒に食事を取るべき・・・

これらの固定観念は食事を神聖化しているからこそ起こるものではないか?

そのために食べたくもないのに嫌々食べる、疲れているのに時間も労力もかけて食事を作る、より良い食事のために何件も店を回って疲弊するというようなことが起こってくるのだと思います。

質素な食事というのはそのような価値観を打破するだけの威力があります。

食事の神聖化としての質素な食事よりも食事の神聖化を打破するという観点からの質素な食事にこそ価値があるのです。

人生にとっての幸福はいくらでもある

私はどうも食事は人生の幸福にとっての基礎だ、だから食事を粗末にしてはいけないという雰囲気を感じてしまうのです。

食事で幸福を感じる人は丁寧に食事をすればよいし、そう感じない人は栄養さえ取れれば適当に済ませたっていいと思うのです。

自分は後者の立場です。自分にとっての幸福はなるべく働かずに自由気ままに過ごすこと。

食事で幸福を感じようと思えばその分労力がかかり、時間も精神的余裕もなくなる。それなら空腹だが自由気ままに暮らせるほうが性に合っているなと思うのです。

今回は批判的に書評しましたが、本自体は良書だと確信できます。

  • 手間をかけずに満足できる料理を作りたい
  • 健康的な食事を取りたい
  • 今の食習慣を変えたい

こんな風に思っている人にはおすすめできる本です。

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