赤の他人との共同生活は無理
先日遂にアパートからの退去が完了した。
現在は実家に戻っているが、夜に騒音に悩まされて眠れない日々を過ごさなくていいというのは本当にありがたいことだ。
もちろん実家でも全く騒音が出ないということではない。
しかし生活リズムはだいたい同じだし、長年一緒に住んでいることもあってか音がでてもそれなりに許容範囲ではある。
一方でアパートにいた頃は上の階の住民が非常識で夜になっても工事をしているのかと思うくらいの騒音を出していた。
そのおかげで夜はよく眠れず外で寝ざるを得なかった。
アパートに住むなら共同生活になるわけだからそこに住む人は誰もが音を出さないように細心の注意を払って生活しているものだと思っていた。
自分も扉を閉めるときは音が出ないようにしたり、抜き足差し足で移動したり、床に物を置くときは腰をかがめて音が出ないようにしたりと配慮していた。
しかし世間ではそんな注意なんてしないんだろう。
自分が金を払って住んでいるのだから自分の部屋で何をしようが勝手、自分の部屋なんだから他人に配慮なんてしたくないそう思っているのかもしれない。
自分は入居前は騒音をなめていた。
騒音の有無は住民の質によって左右される。
住民の質なんて外からは見えないのだから騒音についてうだうだと考えても無駄だと。
騒音を避けたければ騒音が出にくい構造の住まいに行くしかない。
しかし金のない自分には高嶺の花だ。
ただ単に自分が音に過敏なだけなのだろうか?
そうであれば赤の他人と共同住宅に住むなんて自分には無理だったんだな。
一人暮らしをして気づいたこと
アパートの入居したのは5月21日で退去したのは6月24日、それでその間2週間ほど自宅に帰っていたから実質的にアパートで暮らしていたのは2週間くらいだ。
たった2週間ほどの入居だったが自分の人生にとって収穫はあったと思う。
まず第一に共同住宅は人間が住むところではないということ。
賃貸住宅か持ち家という議論は永遠に尽きることはないが、快適な暮らしには持ち家が断然アドバンテージがある。
賃貸住宅は金がない人が努力して金をためるための環境であり、次のステージにステップアップするための踏み台だ。
第二に自分は一人でも精神的に参らないと改めて認識できたこと。
アパートに住んでいた時も精神的に参ったことはあった。
でもその原因は騒音だったり、狭い部屋の中で籠り続けていたことだった。
それさえなければ一人で過ごしていても寂しくなったり、不安になったりすることはなかった。
むしろ一人で近くの海に行くと気分が晴れるし、自転車で移動すると気分が良くなる。
部屋に籠らず積極的に自然の中に入っていくのが一人でも楽しく生活していく知恵かなと思う。