今日は久々にキレてしまった。
原因は階段に誰かが花瓶を置いていてそれにつまづいて転んでしまったことだ。
転んだ瞬間瞬発的に怒りの感情が湧いてきた。
というのも家族には以前から何度も転ぶから物を置かないように口酸っぱく言っていたのにも関わらず置いていたからだ。
イライラが止まらずその辺にある本を投げ散らかした。(本といってもパンフレットのような薄っぺらい冊子だ。)
こんなにもイライラしたのはどれくらいぶりだろう。
花瓶を投げ割りたい衝動にも駆られたが何とか踏みとどまれた。
以前の自分なら物に当たるのがエスカレートしていっただろうが、今回はなんとか自制が効いたと思う。
怒りを自制できたのは現在仕事をしていないおかげだろう。
仕事をしてなければ職場の人間関係に気を病むことはない。
以前働いていた職場は表では普通に話しているのに、張本人がいない時はその人の悪口、陰口を言うような人ばかりだった。
本当に不快だった。
あの職場にいた頃は何かにつけてイライラしていた。知らぬ間に自分の心が汚染していたのだろう。退職して本当に良かったと思っている。
また退職してゆったりと過ごす時間が増えたのもイライラしなくなった要因だと思う。
今は時間ができたので本を読んだりネットのラジオを聞いたりしている。
ジャンルは哲学的な内容が大半だ。
やっぱり哲学はいい。様々な人の意見や考えを聞くと新たな発見が生まれるし、自分でも思いもよらない思考に到達することもある。
哲学に触れているとこの世に自分の思い通りになることはない、自分の思い通りにできると考えるのは驕りだと思うようになる。
だから他人に期待しないようになる、他人に無関心になる、そうすれば怒りの感情も湧きにくくなるわけだ。(それでも今回のように完全に怒りの感情をなくせるわけではないけど。)
ネット上でも新たな意見や発見に出会うことはできるが、大半が罵詈雑言、見るも絶えない低俗な内容だ。
それはブログやYouTubeのコメント欄、Twitterのリプ欄を見れば自明のことだ。
それを乗り越えないと良質な情報にありつけないのがネットの世界だ。
良質な情報にありつく前にジャンク情報にけがされ、心が疲弊してしまうのだ。
本やネットラジオなら罵詈雑言に触れることなく、良質な除法を得ることができる。
老いは残酷だ
花瓶の件に戻るが、花瓶を置いたのはどうやら祖母のようだ。
祖母が言うには花瓶をどこに置いたか忘れて放置してしまったらしい。
祖母は90歳近くだから物忘れが出てしまっているのだろう。
祖父も今までは外で農作業ができるくらいには元気だったが、最近では農作業をする機会は少なくなって家の中で寝て過ごすようになっている。
時折、デイホームにも通っているようだ。
祖母が原因だったと知っても怒りは湧かなかった。転んでから時間が経っていたのもあるが、年齢だから仕方ないと思ったのだ。
加齢は残酷である。どんなに健康にしていても最終的には自分でも動けないほどに体は衰え、つい数分前に何をしていたのかさえ忘れてしまうのだから。
自分もいつかはそうなってしまうのだろうか。だとしたら老後など心配していても無駄だ。
今を楽しんでこそ人生は輝く。
ちなみに怒りの持続時間は長くとも6秒だ。怒りが爆発しそうになったら高速で数字を数えたり、その場から離れたりするといいそうだ。
とはいっても怒りが爆発するような状況では冷静に考えること自体が難しいだろうけども。